【 2010年3月18日 更新】
星渓園は回遊式庭園で、熊谷の発展に数々の偉業を成した竹井澹如翁によって慶応年間から明治初年にかけてつくられました。
竹井澹如は、天保10年(1839)群馬県甘楽郡南牧村羽沢の豪族市川家に生まれ、幼名を萬平と言い幽谷と号しました。明治12年(1879)初代の県議会議長となり、政府の要職をすすめられたが、始終一貫、熊谷地方のために貢献しました。
熊谷県庁の誘致・旧熊谷堤の修築と桜の植樹・養蚕業の振興・私立中学校(セキテイ学社)の創設などの偉業を残し、大正元年(1912)8月74歳で永眠されました。
元和9年(1623)、荒川の洪水により当園の西方にあった土手(北条堤)が切れて池が生じ、その池は清らかな水が湧き出るので「玉の池」と呼ばれ、この湧き水が、星川の源となりました。澹如翁が、ここに別邸を設け、「玉の池」を中心に竹木を植え、名石を集めて庭園としました。
昭和25年熊谷市が譲り受け、翌年星渓園と名付け、昭和29年、市の名勝として指定されました。
建物の老朽化が著しかったので、平成2年から4年にかけて、建物と庭園の整備がなされ、建物は数寄屋感覚を取り入れ、格調高いものとし、日本文化教養の場として復元されました。
ラン科の多年草で、株の高さは30cm〜40cmに成長し、星渓園や幸安寺で見られ、4月中旬から5月初旬に薄いピンク色の可憐な花を咲かせ、花の形が熊谷市ゆかりの武将熊谷次郎直実の背負った母衣(ほろ)に似ていることから、クマガイソウと名づけられました。
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